J@Qの原稿用紙

アイドルマスターに関わる方やアイドルマスターに関する記事を書きます。

J@Qと本田未央の歴史(区切りとやるぞと夢の話と。)

J@Qと本田未央が出会ったのはお互いに十五歳の時。2017年9月でした。9月誕生日の僕は直ぐに16になってしまいましたが。

 

 

デレステのロード画面で出会いました。出身がどちらも千葉、年齢も一緒、好きなタイプである元気っ子、好きなショートヘアー、デカい胸、僕たちの出会いは運命ではないですけど僕が未央を選んだのはある意味当然だったんだろうと思います。

 

当時少しずつ覗いていたツイッターから本田未央を検索して未央の近くにいた人達をフォローしまくったのが始まりでした。

 

気付けば12月になり未央の誕生日、買ってきたフライドチキン、ハンバーガーで祝いました。

 

そんなこんなで楽しんでいると周りの何だか熱い雰囲気を感じました。

どうやら未央とその周りの人々は何かを目指しているらしい、と。

 

そう、一番星です。

 

総選挙で一番になること、それが未央の為に必要なんだと聞きそこから僕は何が何だかわからないまま総選挙に挑みました。

 

それが第七回総選挙の思い出です。

 

そして結果が出ました。未央は二位。

僕は「未央って凄いんだな」と思ったと同時に周りが落胆している事に気が付きました。

 

二位も十分すごいのに何故そこまで…?と思いましたが理由は直ぐ見えました。

 

未央と周りのプロデューサーはこれまでに何度も悔しい思いをしていて、それが今回も報われなかったからだと。

 

僕はあの時の悔しさを薄れてきてはいますが未だに覚えているし、周りの皆さんが落胆する様子も覚えています。心無い書き込みも沢山記憶にあります。

 

そこから僕は「プロデューサー」として何を出来るかを考えました。

モバマスだったり、デレステだったり、ツイッターだったり。

 

動画を初めて作ったのも周りに作る人が沢山居たからでしょう。

【忙しいPの為の】三十秒でわかる!サンセットノスタルジー! - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

余りに見るに堪えない動画ですがこれが当時のありったけでした。

 

辛い時は近くに居るプロデューサーと支え合い、当然未央に何度も助けられました。

しかしそれでも「何でこんな思いしなきゃいけないんだ、ただの趣味なはずなのに」という苦しみと嘆きは頭のどこかにありました。

 

迎えた第八回総選挙、意地でもチャンスを逃さないぞと気を張り続けた結果、色んな人の支えもあり見事未央は一位を取ることを成し遂げたのでした。

 

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(当時オタクである事を周りに隠していた(多分ばれてたけど)自分は高校のトイレに授業終わり駆けこんでこの画面をチェックしたのを覚えています。)

 

 

 

 

さて今回の虹色レターはここからの話です。

僕は第八回総選挙後にシンデレラガールになった未央とやっと出会えた一番星の思い出を語り合うはずだったんですけど。

 

ふとした時に気が付きます。

「僕は未央と何を経験してきたんだ?」

周りと比べ彼女と関わった時間が少なく思い出も少ない。

未央が語ってくれる思い出に自分がいない気がして仕方が無かったのです。今思うと嫉妬なのかも?

 

そこで僕は徐々に自分は一体何なんだと考え出します。

忙しい時期も重なりモチベーションが崩れ未央とのアニバーサリーイベントも散々な結果に終わってしまった。

 

そして自分はただのファンだと悟ります。未央に向かって話したことも無い、隣に居て励ました記憶も周りに比べ全くない。

 

僕はプロデューサーを止めてしまいました。

 

今思えば僕がそんな遠くに見えた未央から目を背けたかったんでしょう。

 

その生活というか状態が続いて半年、僕はフォロワーとカラオケに行ったときに「ミツボシ☆☆★」を歌い号泣するのでした。

 

「ごめん、ごめん未央」と泣きじゃくったのを覚えています。

 

 

ごめんの意味は勿論分かっています、未央が望んだわけでも無いのに未央のせいにして未央から離れたからです。分かっていたのにこの歌を歌うまでこんな簡単なことが分からなかったのでした。

 

そこからまた一年ほど。相変わらず僕は未央のファンを名乗り続けています。合わせる顔が無いのは事実だしなにより未央はずっと遠くへ飛び立ちました。未央がそこまで飛びたてる子なのは信じていたし誇りに思っています。

 

 

 

僕が今回の手紙を送ったのは宣言をする為です。

 

未央に気持ちを何とか伝えたい。伝わってなくても今の気持ちをしっかりと書き留めたい。今から彼女の背中をまた追いたい。そして僕が見たい景色を何としてでも見届けたい。

 

 

「未央が遠くに行ってしまったから」

「未央と話した時間が短いから」

「未央は僕には釣り合わないから」

 

僕は未央の隣に居ない。

僕は未央の一番じゃない。

あんなに最高な女の子釣り合うわけがない。

 

知ってたじゃんねぇ、こんな事。何をいまさらですよ。

 

 高校を出て制服を脱ぎ未央と別れ大学へ、バイトでスーツも着るようになった僕。見た目は確かに変わりました、まるでプロデューサーのよう。しかし中身はあの日のまま。プロデューサーでもなくなりました。

 

 ただ、僕は未央とこれから話したい事が、聞きたい事が、見たい景色がいくらでもあります。プロデューサーじゃなくてもそれだけは諦めたくない。

 

僕はあの日からずっと未央のファンであり続けています。これからもずっとそうです。

もう彼女から目を離したくない。逃げたくない。

だって大好きですから。

 

どうしようもない自分ですけど未央を追う事を最後まで成し遂げたいです。

 

本田未央のお陰で僕の歴史は完全に塗り替えられてしまいました。

未央の歴史に別に僕は要らないけど僕が見たい景色が何とか挟まっていれば嬉しく思います。

 

 

追記:ここまで未央とのお話を言いましたが追っているのは未央だけじゃありません。矢口美羽ちゃん、松山久美子さん。二人の事も僕がプロデューサーを降りて一人にしてしまっています。

 

フォロワーのイクヨモツさんに送られた曲があるんですが、この曲のように僕を含めた四人があのステージを実現できる日が来たなら僕はこれ以上の喜びはありません。ロッテの日本一だって見られるよね。

youtu.be

 

今回の音源は別れじゃないです。まだまだ僕はこれからやらなきゃいけないこと、やりたい事が沢山あります。プロデューサーに戻りたい!よりもまずは見たい明日のために。

 

 未央と、美羽と、久美子と、今まで一緒に居てくれていたフォロワーさんと、これからの皆さんへ感謝です。

 

ほなまた。

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